2018年8月8日 No.2825

長岡東RC 例会報告

司会 下田 邦夫さん
本日の出席 48名
出席率 80.00%
国家斉唱 君が代
会歌 奉仕の理想
体操 親睦委員会 上野 徹さん
ゲスト紹介 親睦委員会 飯利 美和子さん
周 遠兵さん(2018-19年度米山奨学生)
奨学金贈呈 周 遠兵さんへ(8月分)
―お礼の言葉―
各種表彰 入会記念表彰 1名
・入会15周年記念表彰 加瀬 由紀子さん

米山奨学寄付金 功労者表彰 11名
・伊丹 敏彦さん(第5回 米山功労者)
・岩崎 由三さん(第4回 米山功労者)
・小林 成二さん(第4回 米山功労者)
・中川 清宜さん(第4回 米山功労者)
・廣井 晃さん(第3回 米山功労者)
・藤井 英雄さん(第2回 米山功労者)
・加藤 武さん(第2回 米山功労者)
・北村 敏雄さん(第2回 米山功労者)
・田村 和仁さん(第2回 米山功労者)
・上村 寛男さん(第1回 米山功労者)
・西脇 美智子さん(第1回 米山功労者)

8月お誕生日祝 7名
・岩崎 由三さん(8.1)
・村瀬 和治さん(8.8)
・鈴木 勝也さん(8.11)
・水流 潤太郎(8.12)
・難波 善行さん(8.18)
・本田 浩太さん(8.18)
・田村 巖さん(8.25) 

会長挨拶:岸会長

皆さんこんにちは。
立秋を迎え、朝夕は少し暑さが和らいだような感じがいたします。しばらくすると、ひぐらしの声も聞こえてきそうな、そんな萌しを感じるようになりました。とはいえ、まだまだ残暑厳しい日もございます。どうそお体にはお気をつけいただき良いお盆をお迎えください。
さて連日甲子園では、夏の高校野球、熱戦が続いております。
この機会ですので、新潟県また新潟県勢の高校野球にまつわる、いわば、新潟勢初の・・・というテーマでエピソードを紹介させていただきたいと思います。
さて、そもそも新潟県にはじめて野球が伝わったとされるのが、諸説ありますが、有力な説は、明治22年(1889年)旧制長岡中学に赴任していたアメリカ人の英語教師がbaseballを生徒に教えたのが始まりと言われています。
そして、同校に明治31年(1898年)、野球部が創部されることになります。
山本五十六元帥も長岡中学野球部で、打席は3番、守備は遊撃手でありました。
そして今年100回目を迎える全国高校野球選手権大会ですが、その1回目が大正4年(1915年)第一回全国中等学校野球大会から始まるわけであります。
そして、新潟県勢が、初めて全国大会に出場したのは、大正7年(1918年)、第4回大会でありました。
出場校は旧制長岡中学であります。予選の北陸大会を制し、全国進出の切符を手にしました。
甲子園球場ができる前ですので、全国大会は西の宮の鳴尾球場でおこなわれていました。
しかし、この年は、米騒動が起こり、全国大会開催前、急遽大会中止を余儀なくされました。
大会史には数えられていますが、出場選手にとっては、戦うこともできなかったという無念の年であります。
私の祖父もこの時の出場メンバ-で、打順は5番、ピッチャーでありました。
当時の北陸大会の決勝戦のスコアブックが長岡高校資料館に保管されています。
この間、見せてもらいました。
この北陸大会の決勝戦、相手は旧制富山中学したが、私の祖父の投球内容は、被安打2、奪三振18、フォアボ-ル2、スコアは7対1でありました。
また、新潟県勢が全国大会において、初の1勝をしたのが、大正9年(1920年)、長岡中学であります。
全国大会の成績は、1回戦、北海道代表、北海中学に対し7対4で勝利しましたが、続く2回戦では当時は東京代表の、慶応普通部に2対4で敗れました。
そして1924年(大正13年)に阪神甲子園球場が完成し、全国の舞台は鳴尾球場から甲子園球場にその舞台を移すことになります。
しかし、この甲子園球場では、新潟県勢は、1勝はするものの、2勝がなかなかできません。
そして新潟県勢として、初めて甲子園で2勝をあげたチームは、1981年(昭和56年)出場の、新発田農業であります。初戦は、全国制覇5回を誇る広島商業相手に1:1で投手戦で競り合って、延長10回表、2点を挙げ3対1で勝利しました。2勝目は、東海大甲府に4対3で逆転勝ちで大金星を挙げ、ベスト16となります。

そしてこの年を境に、新潟県勢高校球児の夢が甲子園出場から、甲子園で勝つことへとその意識のステージがあがることになったといわれています。
そしてその3年後1984年(昭和59年)に新潟県勢初の全国大会ベスト8進出となるわけであります。8強入りを果たしたのは、なんと甲子園初出場の新潟南高でありました。
2回戦は3年前の準優勝校の京都西高に対し、延長11回裏4対3でさよなら勝ちし、3回戦は強豪校、高知代表、明徳義塾相手に7回まで2対2の互角の戦いを見せ、そして8回の表、新潟南のホ-ムランで2点勝ち越し、4対2で競り勝っての8強入りでありました。
その後、新潟県高校野球の勢力図は、公立躍動の時代から私立優勢の時代へと移ることとなります。
そして、新潟県勢、初の決勝、2強を実現したのが、2009年(平成21年)出場の日本文理であります。
決勝は最多優勝6回を誇る愛知の中京大中京、惜しくも10対9で涙を呑みましたが、この決勝戦は球史の残る名勝負といわれています。といいますのも、この試合、日本文理9回表の攻撃、得点は10対4、6点を追う展開で、しかも2アウトランナー無しとなり、誰もがあっさり中京大中京が優勝すると確信した瞬間、日本文理、怒涛の攻撃で、一挙5得点を挙げ、10対9まで中京大中京を追い詰めます。最後アウトとなる打者も三塁手を強襲する鋭いライナー性の当たりでしたが、ちょうど三塁手グラブが伸びたところにボールが突き刺きささるといったような感じで、捕球され、ゲームセットとなった試合です。 もし三塁手のグラブを弾いてレフト前に抜けていれば、逆転していた可能性があります。
そして9回裏を抑えれば、新潟県勢初の優勝だったかもしれません。
高校野球は、たった1つのプレーが、ジャッジも含めてでありますが、試合を左右します。
よく甲子園には魔物がいるといわれますが、その気配を感じた試合だったと記憶しています。
スポニチが100回大会名勝負ランキングで2位とするくらいの名勝負でありました。
こう見てくると、新潟県勢の戦いぶりは粘り強い、そしてあきらめない、競り合う こんな試合が多い感じがします。
新潟県勢は、この100回の大会の中で、28勝しております。勝率は0.329、全国では第39位です。因みに勝率ベスト3は、大阪が0.656、2位が愛媛0.639、3位が神奈川0.634となっています。
新潟県勢、まだまだ伸びしろはあります。
新潟県勢には、まだ全国制覇という大きな夢、偉業達成の夢が残っています。
夏の甲子園の球児達の活躍と、新年号の年に101回目の大会での新潟県勢の夢の実現を期待しまして、今日は高校野球の話をさせていただきました。
会長挨拶に代えさせていただきます。ありがとうございました。

幹事報告(理事会報告):上村幹事

1.平成30年7月豪雨義捐金について2560地区より寄付依頼がありました。長岡東RCとしてはニコニコBOXより、一人当たり3,000円を寄付する旨が理事会にて承認され」ました。
2.2019年1月職業奉仕月間、職場見学の日程変更が承認されました。
  於:長岡大学 1月30日(水)→2月13日(水)(大学入試・学内試験期間の為)
3.創立60周年記念事業について、長岡開府400年記念事業実行委員会へ20万寄付が承認されました。(60周年式典予算から10万、ニコニコBOXから10万)
4.桜植樹事業予算移行の件が承認されました。(60周年式典予算→本会計予算へ)
5.クラブ改善検討委員会より中間報告と9月卓話の内容・進め方について承認されました。
6.来週15日の昼例会はお盆休会で、8月22日はトラパニさんの夜例会です。
18時10分ホテル発で送迎バスが出ますので時間厳守でお願いします。
7.11月11日地区大会の登録を36名お願いしたいのですが、現在16名しか申込みがございません。皆様の積極的な申込みをよろしくお願いします。

ニコニコ情報:ニコニコ委員会 加瀬 由紀子さん

伊丹 敏彦さん

長岡花火で“金さん銀さん”を東京のTVで見たよ!と友人から賛辞のメールを頂きました。

下田 邦夫さん

長岡祭り大花火大会、綺麗に打ち上げられました。3日は司馬遼太郎記念館上村館長夫婦の接待でした。翌4日はグランドホテルで館長の講演会で、約300名の来場者がありました。
ありがとうございました。

細貝 巌さん

8月3日無事、還暦花火を上げることができました。尺玉60発、身が清まり生まれ変わりました。
今日午後7時からBSNで特集があるそうです。インタビューを受けました。見て下さい。

卓話:岸 伸彦会長「岸年度方針について」